橿原市議会 2022-12-01 令和4年12月定例会(第1号) 本文
我が国最初の条坊制を取り入れた都城である藤原京は、平城京に遷都されるまでの16年間、持統・文武・元明天皇の三代にわたり、古代日本の首都が置かれておりました。
我が国最初の条坊制を取り入れた都城である藤原京は、平城京に遷都されるまでの16年間、持統・文武・元明天皇の三代にわたり、古代日本の首都が置かれておりました。
ですから、今回、古代から始まりまして近代のところまで、特に50年ぐらい前から今日までの分というのがほとんど記載もないということで、そういったものも一応含めようということで、我々、私とか教育長とかも入って、結構、だから歴史的なそういう専門家の方と我々も入ってそういう参加者のメンバーになってるんですけども、実際にはその中でたくさんの方が入られております。
「八卦」とは、古代中国で発達した易占に用いる、運勢や方位の吉凶を占う八角形の図のことです。 本木簡は、日本人の吉凶占いや選日が、8世紀初頭の藤原京で既に行われたことを示しており、日本における「八卦」の受容と発展、我が国最初の中国式都城である藤原京の先進性や精神文化を語る上で、歴史的・学術的価値が高いものでございます。
この壬申の乱というのが、大化の改新から起こって、藤原京遷都、そして大宝律令制定に続く中で起こった、日本国の歴史上非常に重要な戦乱で、古代の天下分け目の戦いと言えるものです。今回の世界遺産登録に藤原京が含まれることを考えたら、壬申の乱そのものも全く無関係ということではないのかなと思っています。
皆様もご承知のとおり、古代史における最大の内乱、また、古代日本のターニングポイントとも言われております。現代社会につながる天皇制や、国の法律や制度、法治国家としての国家の基盤を完成させるきっかけとなったとも言われております。壬申の乱の後、天武天皇が即位し、その思いを引き継がれた持統天皇が藤原京を完成させました。
我が国最初の条坊制を取り入れた都城である藤原京は、平城京に遷都されるまでの16年間、持統天皇、文武天皇、元明天皇の三代にわたり、古代日本の首都が置かれておりました。
橿原市は、古代から多くの古道が整備された交通の要衝として発展してまいりました。また、日本で最初の条坊制の都である藤原京が造営され、律令制度による国家運営の仕組みが整った地であることから、「日本国はじまりの地」であると言えます。
古代エジプトの都市にも図書館があった。入り口には、魂の診療所という意味の言葉が記されていたという。私はこれらの本や記事を涙なくして読むことはできませんでした。戦場の秘密図書館、山岳地帯の自転車による移動図書館、被災地への本を届ける活動という、三つの活動は皆、人間が人間であり続けることを保障する活動、言いかえると、魂の病を治療する活動と言えます。
作っていただいておりますし、あと、私、いつも提案させていただいているんですけれども、まだまだ今、入籍はされるけども、もうそういった式はされないという方も結構私の周りにもたくさんいらっしゃるんですけれども、やはりそういった方々が本市のほうで、そういった、何ていうんですか、オリジナルの結婚届書もありますし、また写真も撮れるように、ちゃんとボードもきちっときれいなのを作っていただいておりますので、本市の古代衣裳
さらに、現在の建築物として、代表的なものとして、あべのハルカスでありますとか、また明石海峡大橋も眺望のいいときには肉眼で橋脚が見えると、こういったことから、古代から現代まで、人の営みの悠久の歴史を感じることができると、そういった絶景のスポットじゃないかというふうに思っておりますし、そういうふうに皆さんにPRをさせていただいております。
住みたい、また、住んでよし、古代ヤマト王権時代のヤマトタケルノミコトが読まれた大和・桜井市の「やまとは国のまほろば」のとおり、もう一度選ばれる住みよい桜井市を目指すために、ぜひ持続可能な公共交通の在り方に取り組んでいただきたいと思います。このことを強く要望しまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
その下の都市公園整備工事1,800万円につきましても国の補正によるもので、竹取公園の古代住居近くのトイレとローラー滑り台の改修を予定しております。 次に、174、175ページをお願いいたします。 中段、8款教育費、学校給食費特別会計繰出金2,900万円の減額ですが、コロナでの臨時休業による減額で、特別会計の補正で説明をさせていただきます。
平成29年度からは、京都府、富山県、高知県、愛媛県で開催されました日本遺産サミットへも参加し、古代衣装の着付け体験やムクロジを使ったブレスレットづくりなどのワークショップは大変好評で、「飛鳥を翔た女性たち」のPRにつながったと考えております。
こちらにつきましては、古代ヤマト王権発祥の地である桜井市は、豊かな歴史や文化資源、そして自然環境に恵まれ、木材や三輪そうめんなどの豊かな地場産品がございます。また、これらに加え、6次産業化や商工業の企業誘致等、新たな産業の創出を行うなど、桜井市の強みを生かしたまちづくりこそが桜井市の個性を生かしたまちづくりであると考えております。
その中の1つに、日本最古の道と称される山の辺の道がございますが、この道を年間数多くの人たちが、古代を思い浮かべ、歩かれているのではないでしょうか。起点は桜井市金屋から奈良の春日大社までの全長約27キロメートルで、幅は2メートル足らずの小道であったとされておりますが、沿道には多くの遺跡、神社仏閣などがあり、歴史をたどる上で重要なものばかりでございます。
世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会専門委員 田辺征夫(たなべ いくお)氏、奈良女子大学文学部准教授 河上麻由子(かわかみ まゆこ)氏に、「飛鳥・藤原」にみられる古代の国際交流と魅力についてご講演いただき、奈良県知事、橿原考古学研究所所長とともにディスカッションしていただきました。350名の方に参加いただき、飛鳥・藤原の文化遺産の重要性について、改めて理解していただくことができました。
我が国最初の条坊制を取り入れた都城である藤原京は、平城京に遷都されるまでの16年間、持統天皇、文武天皇、元明天皇の三代にわたり、古代日本の首都が置かれておりました。
桜井市は、飛鳥時代以前におきまして、実に13もの天皇の宮があったと伝えられる、古代ヤマト王権発祥の地、まさに日本の国の始まりの地と言える場所です。また、古事記や日本書紀、万葉集などにも数多く登場し、さらに、東と南を青垣山に例えられる山々に囲まれ、のどかな田園風景や、それらと調和する古墳や遺跡等の歴史的資源が豊かな自然環境を構成しております。
眺望の確保をしていく上で、亀の瀬の地滑り地帯をぜひ見てほしいと、これが一番実は最初の動機でございましたが、亀の瀬の地滑りを見ていただくことに加えまして、大和川水系を生かしたヤマト王権でありますとか、あるいは斑鳩仏教圏の成り立ちだけではなくて、古代から現代まで1800年と言っているわけですけれども、歴史を体感できる場所であるということを皆さんにかなり再認識していただくようになったんじゃないかというふうに